日本教育における干渉と迷走の歴史 ~文部省の研究~

最近は、国際的に学力を比較する指標として、経済協力開発機構(OECD)による学習到達度調査(PISA)がよく使われています。PISAでの国際的な順位にに一喜一憂している印象で、PISAでトップクラスのフィンランドの教育がもてはやされたりと、安易に善し悪しが語られているように思います。そもそもPISAは指標の一つであり、日本の教育が何を目指しているのかを知ることも大事かと思います。明治時代の初期に文部省ができて150年、その紆余曲折の経過を見ると、教育の中からいろんな立場の人の思惑や衝突、そして干渉が浮き彫りになります。

森友学園で、園児に教育勅語を暗証させていたことが、ニュース等で問題視されていましたが、そもそも何が問題なのだろうか。第二次正解大戦時の軍国主義の象徴として忌み嫌う人もいると思う。たしかに戦前の軍国主義に利用された歴史はあると思うが、教育勅語軍国主義のために生まれたものでない。教育勅語にまつわる歴史は、教育が国や政治を含めたいろんな立場の人から干渉されることをよく表していると思う。

国家が提示する「理想の日本像」には、国家の存続が大前提で、今後も侵略を受けず長きに繁栄することを目指していると読み取れる。少なくとも、国家が消失して世界規模でボーダーレスになり繁栄することは想定してないんだろう。日本の教育目標は、ごく簡単に書くと、グローバリズムナショナリズムバランスをどう取るかがキモになる。グローバルな視点を強調しすぎると国家軽視になり、ナショナリズムを大事にしすぎると、国際的な競争力が育たない。

著者は文部省の150年の歴史を、「理想の日本像」をキーワードにして書かいている。しかし最後に、そんなものは虚構であり一括することはできない、とも書いている。ただ、理想の日本人像や教育目標に意味がないわけではない。戦後のドイツや日本が「二度とこのような戦争が起きないように」と、社会の仕組みを見直したように、教育が特定の熱心な思想により暴走しないよう、安全装置としての意義はあると思う。