教えることと主体性の矛盾に向き合う ~主体性は教えられるか~

私の好きな、岩田健太郎先生が書かれた臨床教育に関する本ですが、タイトルに示す通り「主体性」に焦点を当てられています。作業療法の世界でも臨床教育指針が示されていますが、その一方、指針通りに行えば教育がうまくいくのか、という疑問も残ります。教える側も、もっと主体的に考える時期かもしれません。

主体性は教えられるか (筑摩選書)

主体性は教えられるか (筑摩選書)

2018年10月に、理学療法士作業療法士学校養成施設指定規則改正が公示され、2020年度の入学生より適応される。臨床実習を受ける側としても、臨床実習指導者講習会の受講が義務付けられるなど、臨床実習のやり方そのものを見直す時期と思います。日本作業療法協会は改定を受け、2018年に臨床実習実習指針・手引きとも改訂を行ったことは評価されることです。しかしながら、臨床実習を受ける側が、「その通りやればいいんだ」というのはちょっと違うように思います。

臨床実習を含めた、臨床教育現場の多くは、学習者に対して「主体的に」と要求するが、その一方で、「これに気付いてほしい」「こうしてほしい」という行動目標がある場合が多い。教育者は、それに気付いてもらうために試行錯誤しながら誘導を行うのだが、勘のいい学習者はそれを察し、教育者の要求する行動を取ろうとすることも多いだろう。教育者の思う通りに行動する学習者は「優秀」と評価されるが、これでいいのだろうか。

本書では、この一冊の中で問いの答えを探そうとしているが、はっきりした答えは書かれていない。しかしながら、ヒントは随所に散りばめられている。その中でも内田樹先生の著書「街場の教育論」からの引用「学ぶものにブレイクスルーをもたらすのがメンターの役割」という言葉が、自分には一番腑に落ちた。

ブレイクスルーをうまく表現できないが、少なくとも学習者が指導者の意図を汲み、期待された行動を取ることとは違う。ブレイクスルーは、学習者の高度な気付きであり、バラバラの知識がつながった瞬間、視野が広がり新しい見方ができた瞬間、自分の行動と結果のつながりが理解できた瞬間、などと捉えている。いずれも、学習者の中で起こっていることである。

今後の臨床実習では、「見学-模倣-実施」のスタイルが基本となり、教育者のできる範囲しか教えることはできない。そのスタイルを基本とすること自体は否定しない。でも、それだけでは学習者の主体性は育っていかないと考える。最初は手取り足取りしっかり体験してもらうが、その後どのような関わり方をするかが、指導者の力量だと思っている。どのタイミングで手を離すのか、学習者が教育者の意図と違う行動、考えを示した時にどのように反応するかが問われていると思う。臨床実習の教育者として、実習のフレームをどう作るか、どう関わっていくのかは、人の考えも参考にしながらも、最後は「主体的」に考えていきたいと思う。